自転車操業の教科情報実践報告
  その3 「佐世保小6殺害事件から考える」

1. はじめに
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この5月に起こった小学6年生女子による同級生殺害事件を受け,今回
は番外編の報告とさせていただきます。

この事件は教育界において大きな衝撃を与えた事件でした。またこの事
件が,ネットの掲示板・チャットでの書き込みが原因とわかると,マス
コミはネット社会と小学生との関わりを問題視し始めています。

私がこの事件の報道で疑問に感じたのは,「本当にネット社会があった
から起こった事件なのだろうか?」ということでした。そこでこの疑問
を加害児童の年代に近い生徒に考えさせてみようと思い授業を企画して
みました。幸い私は毎週金曜日の放課後に「平和と人権の学習」という
希望者対象の講座をもっています。今回ご紹介するのは,この講座を選
択している高校2年生女子との意見交換の内容です。


2. 授業の概要
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(1)どのように進めたか
意見交換を中心に据え,今回の事件そのものの問題点と,事件を取り巻
くマスコミ報道の問題点について考えさせる授業にしました。事前にい
くつか考えてもらいたい項目を準備しましたが,中には結論が出ないも
のもあります。題材が題材だけに,安易に結論を導くことが必ずしもベ
ターではないでしょうし,それだけに真剣に「考える」ことが大切にな
ると思います。また,この事件について生徒達が何を感じているのか,
教員としては知っておきたいと思いました。

(2)配付物
6月2日,6月4日付 朝日新聞記事の切り抜き
記事には加害児童の動機や,事件の概要がまとめられていました。

(3)用意した問い掛け
【原因はネット社会といわれるが,似たような経験はある?】
掲示板への書き込み,メール・チャットなどで,イヤな思いをしたこと,
けんかになったことがないかどうか。「言葉と活字の受けるイメージの
違い」,「文字では表情など微妙なニュアンスが伝わりにくい」といっ
た,ネットワークを通したコミュニケーションの特性を考えさせるため
の問い掛けです。

【もしネットがなかったらこの事件は起こらなかった?】
ネットがある前のコミュニケーション方法を考えさせます。中でも女子
生徒独特の交換ノート・手紙回しなどで,同様のことが起こらなかった
かどうか考えてもらいました。

【この生徒はなぜこういう事件を起こしたと思うか?】
以下のような段階を経て,加害児童の気持ちを考えさせました。
・原因・気持ちは理解できるか?
・その気持ちが殺人という行動に結びついてしまったのはなぜか?
・多くの人は同様の経験をしても殺人を犯さない。それはなぜか?
新聞で報道されているものだけが本当の動機なのか,自分に置き換えて,
「普通の人」と「事件を起こす人」のちがいを考えさせるための投げか
けです。

【他者を傷つけないための「心の教育」って何が必要?】
・事件を起こさないためにはどういう教育が必要か?
・自分たちはなぜ,心に歯止めが利くのか?
・いつ,だれから「命は大切」とならったのか?
教育に携わる者としても気になる内容です。是非生徒たちの意見を聞き
たいと思いました。


3. 生徒の意見の紹介
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【原因はネット社会といわれるが,似たような経験はある?】
・メールでは感情が伝わりにくいので,大切なとき,誤解されそうなと
 きは必ず,電話を使うようにしている。
・文字は冷たい感じがするので,絵文字を使って,柔らかい感じにして
 いる。
・小学生では,このような使い分けはできないのでは?
・「ぶりっこ」という言葉は小学校ではよく言うし,言われた方も傷つ
 きやすい言葉に思う。

【もしネットがなかったらこの事件は起こらなかった?】
・ネットがなくても起こったと思う。手紙や交換ノート等で同様のやり
 とりがあったし,他の人との交換ノートに書いた他人の悪口を見られ
 てトラブルとなったことがある。
・ネットがあったからというのは,殺そうと思ったとき小学生なら方法
 は思い浮かびにくいと思うが,ネットを使えば具体的な方法を簡単に
 調べることができる。そういう意味ではハードルが低くなってしまう。
・ネットを使えば誰にも知られず,自分の部屋の中で簡単に「殺し方」
 も調べることができる。そんな状況は今まではなかった。

【この生徒はなぜこういう事件を起こしたと思うか?】
・バトルロワイヤルの映画・コンピュータゲームを見ても,簡単に人を
 殺すシーンがある。成長の未熟な小学生には影響が大きい?
・「殺してはいけない」というのは誰でもわかるし,小学6年生なら現
 実との区別はできるはずである。
・悪口を書かれたから殺すというのは短絡的,そこに幼さを感じる。
・気持ちは分かるが,普通の人なら殺人という方法へはいかなかったは
 ず,少し普通の人とは違う考えをもつ「特別な人」か?
・自分たちなら「もし殺したらどうなるか?」ということを考える。自
 分の将来のこと,残された家族のことなど,いろいろ考えてしまう。
 それが,「殺す」という行動に行くまでの「心のハードル」となる。
 この生徒はなぜそれを超えてしまったのだろう。
・正常な人でも追いつめられると正常な判断ができないときもある。も
 しかすると加害者の少女は,被害者となった少女に対し,恨み・ねた
 みなどが蓄積されていたのではないか?そのことが「心のハードル」
 を低くしてしまったのではないか」
・この児童も「特別な人」でないかもしれない。新聞もすべての動機や
 背景を書いているのか疑問。
・でもその一方で自分はどんなに追いつめられても「心のハードル」は
 超えないと思う。

【他者を傷つけないための「心の教育」って何が必要?】
・「殺してはいけない」などはならったり,教えてもらった記憶はない
 が当たり前のこととしてものごごろついたときから身に付いている。
・あえて思い出すと,テレビなどで事件が報じられたり,こういうこと
 はいけないということが報道されたときに「これはあかんねんなあ」
 と思って,気をつけることもある
・同様に小さいとき,親から他人を傷つけるおそれがある行動をしたと
 きに,すごくおこられた記憶がある。
・学校で何かならったかというと印象がない。こういう事件が起こって
 あらためて「人を傷つけてはいけない」などと言われても,「そんな
 んわかってる!」という感じ。
・学校では「命が大切」や「殺したらどうなるか」などのヒントはもら
 えるように思う。また人間関係について学校で授業外で学んだことも
 多い。


4. 授業を終えて
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これまでの連載の流れから外れてしまいましたが,ネット社会が問題と
された事件だったので,社会科・情報科の教員として取り上げてみまし
た。完全な「番外編」としてお許しください。

幸い7名という少人数の講座だったので,生徒の意見に教員が自分の意
見をいれてふくらます形式の授業を行うことができました。この授業を
通してさまざまなことに気づくことができました。

例えば
・生徒はネットを通じたコミュニケーションの特性をある程度理解して
 おり,用件に応じて「電話を使う」など,手段を使い分けていること。
・絵文字や矢印などを使うと,相手の受け止め方が感情的になることを
 抑制する効果があることを意識していること。
・今回の事件に,小学生のネット利用が深く関与しているという見方は
 信憑性に欠けるものの,生徒が言うように,インターネットが「殺害
 の方法を調べる」手段として機能していることも無視できないという
 こと。
・生徒は,殺害に至った児童の心理を,「心のハードル」という言葉も
 使い,自分の経験とも照らし合わせてよく考えることができること。
・生徒は「やってはいけない」ということに気づいた経験などを,うま
 く思い返すことができるし,その経験から学校や社会がより良く子ど
 もを育てるために,どのようにあらねばならないかについても言及し
 ようとできること。
などです。

ネット上の掲示板・チャットなどは匿名性が高く,相手のことを全く考
えなくてもできるコミュニケーションの形態として,新しく成立してい
るということに改めて危機感を覚えました。しかし相手のことを考えな
くてもできる交流は果たしてコミュニケーションと言えるでしょうか?

顔が見ないからこそ,相手を想像する力が今のコミュニケーションには
必要だと思います。彼女たちの意見を聞いていて,本来の意味のコミュ
ニケーション能力を身に付けるに十分な素地を持っていることに期待が
持てた授業でした。

蛇足ですが,授業の終わりに,この事件のあと,きっとマスコミは「ネ
ット社会の落とし穴」「恐い小学生のネット利用」って感じで書いて,
文部科学省は「心の教育をしろ!」って言うと思うよと生徒に話しまし
た。すると生徒は言いました。

「それって表面的な所しか見ていないんじゃない?」


またご意見をお願いします。

日本文教出版 教科「情報」メールマガジン 第57号(2004.7.2発行)掲載

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